「決断」だれのためにするものか | 名古屋出身!酉年社長のブログ

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ある人へのメッセージを考えていて、


久々ブログ更新してみました。



人生の節目節目で必要な「決断」とは、「断固たる決意」


「断固たる決意」とは自分のためにするべきもので、誰かによってさせられるものではない。



シンプルに常に誰のための決断で、なんのための決断か。


それが3年後、5年後、10年後まで自信をもってその決断について言い続けられる事でないといけない。



本能的には本当はどうしたいか人は直感的にわかるもので、

答えは実は決まっていたりする。




その答えを自分で理解して、「将来の自分」のために決断する。

今の自分が少し楽になって、何かしらから解放されるためのものではいけない。

そして間違っても、決断とは人の為にすることではない。



自分のためにする決断が、人の為に必ずつながり、人のためになる。

「人のためのみ」にする決断するは、「人が求めているもの」でないといけない。

そうでなければ相手が傷つくことになるだけで、迷惑な話である。


自分が人のためと思いたいだけで、実は自分が開放されるためへの大義名分ということを理解しないといけない。



そもそも本当に人のためだけに生きるという事だけが自分の幸せであれば、自分の存在や感情は無でなければ成り立たない。



自分が常に幸せに生きていなければ、人の幸せを考える資格はない。


なぜならば自分の幸せな生き方すらわからない人は、人の幸せな生き方がわかるはずもなく、

それはただ、自分について考える事から逃げた結果、人から存在価値を確かめる事しか出来なくなっただけ。



一生懸命生きていればいる人ほど、人間の作ったルールの中で、人間が振り回され、いつの間にか誰のための人生なのかわからなくなってしまう時もある。


昔はシンプルに生きるために助け合ってきた時代から、進化や便利を求め続けた結果、通貨やルールが出来き、今は本質が凄く見えずらい。


ただそれは一生懸命やる目的、「誰のために、何のために」を忘れてしまい、人との関係や、世の中の事を知れば知るほどカオスになっていく現象。



ただ、そんな時が実は一番成長してなりたい自分、将来の理想の自分に近づける最大のチャンス。



ピンチはチャンス

苦しいはチャンス

逃げたい時、開放されたい時はチャンス





それはその時分からないけど、


そんな時こそ


「将来の自分のための決断」


をするべきだ。


何が起きようと、どんな事が予想されようと、「決断」は「決断」。


すべてを受け入れればいい。


自分の中で自分のための正しい決断をし続ければ「後悔」の二文字はなくなる。


「自分の決断」を応援してくれる、理解してくれる、守ってくれる人が必ずいるし、そんな大切な人たちもそんな決断を期待している。



だから自分のために「決断」をするということは、大切な人のためでもある。



人は意外と簡単に生きていける。

仕事がないという人もいるけど、選ばなければ日本には仕事はたくさんある。

借金があるという人は自己破産というルールまである。



ある程度の幸せや好かれている感を担保して苦しい事や、試練からできるだけ避けて生きようとするから人は苦しくなる。


世間体や見られ方、世の中の平均値を意識しなければいくらでも選択肢はある。


だからいつでも辞めることはできるし、いつでも方向転換は出来る。


それは失敗でもなければ、やり直しでもない。


長いマラソンで言えば休憩所での補給に過ぎない。






でも自分のためではない決断をする事で、自分が嫌いになり、人も愛せなくなる。

これもまた、自分を愛せない人に人を愛す資格はない。



なぜならば愛する人が自分の為で
ない決断をする姿を見続ける事ほど苦しい事はない。


よって自分も大切な人もだれにもいい事はない。




自分は常に自分で決断してきた。


決断したことでたくさん追い込まれ、たくさん試練を受けてきた。

だれもがそんな決断をしないような決断をたくさんした。



たとえ周りが失敗でしたね、あの時違う決断をすればよかったねと、言ったとしてもその時考え抜いてした決断は、結果が見えている今の決断ではないから。


その時必死で苦しみ、悩み、自己分析し、考え抜いた、自分のために、自分を応援してくれる大切な人のために決断することこそ


「断固たる決意」になる。


断固たる決意をもった人間は強い。


断固たる決意があるから負けないし、勝つまで折れる事はない。


どん底まで落ちて、生きる事をやめよう。


それが一番解決すると思った事が一度ある。


これからももしかしたらまた思うかもしれない。


でも結果的には解決出来ない問題ではそもそもなく、


複雑な社会の中に飲まれている自分が、苦しみや試練から開放されたくて暗示をかけていることに気がついた。



でもその瞬間が自分の一番のチャンス出会った事が後で証明された。


人は弱い生き物であり、

一人では生きていけない。

だから迷うし、悩むし、時には自分一人で生きている錯覚に陥る。



でも人はいろんな人に誰かに支えられていて、誰かに頼る事も必要。


大事な場面で頼る強さを持ち、頼った人に頼られる人間に成長する必要がある。



すべては自分のためでもあり、人のためでもある「決断」だと思います。